「消費者志向経営」とは?(九州産業局セミナーより)

今なぜ「消費者志向経営」という考え方が企業にとって重要なのか、その歴史的背景から具体的な実践方法までを、解説します。企業のあり方や消費者との関係が大きく変わる現代において、必須の知識となるでしょう。

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1. なぜ今、「消費者」がビジネスの主役なのか? ~コストから利益を生む部門へ~

1.1. 顧客対応は「コスト」ではなく「利益」の源泉

かつて、お客様相談室などの消費者関連部門は、苦情対応などにかかる費用から「コストセンター」と見なされがちでした。しかし、現代のビジネスでは、この考え方はもはや通用しません。優れた顧客対応は、企業の利益を直接生み出すプロフィットセンターとして認識されなければならないのです。

その鍵となるのが顧客生涯価値(Life Time Value: LTV)」という戦略的指標です。これは、一人の顧客が取引期間を通じて企業にもたらす利益の総額を指します。

LTVの具体例 例えば、あるサービスを1回1,000円で利用するお客様がいるとします。

  • 月に1回、年に12回利用
  • これを20年間継続

この場合、顧客生涯価値(LTV)は 240,000円(1,000円 × 12回 × 20年)に達します。

もし、このお客様が初回購入時に何らかの不満を持ち、その時の対応が悪かったために離れてしまったらどうなるでしょうか。企業は目先の1,000円だけでなく、将来得られるはずだった239,000円もの利益機会を逸失することになるのです。

このように、個々の顧客接点を最適化し、エンゲージメントを深化させることが、企業の持続的な成長に不可欠です。

1.2. 顧客対応の基本原則

質の高い顧客対応を実現するためには、その土台となる原則を組織全体で共有する必要があります。以下の8つの原則は、あらゆる顧客接点において基本となる考え方であり、日本の**消費者基本法 第5条(事業者の責務等)**の精神にも通じるものです。

  1. 誠実
  2. 迅速
  3. 的確
  4. 謙虚
  5. 親切
  6. 公平・公正・透明性
  7. わかりやすさ
  8. 積極性

これらの原則は、1962年に米国のケネディ大統領が提唱した世界的な消費者保護の指針である「消費者の4つの権利」とも深く関連しています。

  • 安全を求める権利: 安全な商品やサービスを求めることができる。
  • 知らされる権利: 商品やサービスに関する正確な情報を与えられる。
  • 選ぶ権利: 競争的な価格で提供される様々な商品・サービスから選択できる。
  • 意見を聞かれる権利: 企業の意思決定プロセスに自らの意見を反映させることができる。

コンサルタントの視点 これら8つの原則は、単なる顧客サービス担当者のためのチェックリストではありません。これらは、真に消費者志向な企業文化を形成する「 foundational DNA」です。製品開発からマーケティングに至るまで、あらゆる戦略的意思決定は、これらの原則に照らして検証されるべきです。

このように顧客との長期的な関係構築が企業の利益に直結するという考え方が、消費者志向経営の出発点です。では、このような考え方はどのようにして生まれてきたのでしょうか。次の章でその歴史的背景を見ていきましょう。

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2. 企業と消費者の関係はどう変わってきたか?

企業と消費者の関係は、時代と共に進化を続けてきました。かつての「苦情対応」を中心とした受け身の姿勢から、現在は顧客と共に新しい価値を創り出す「価値創造」へとシフトしています。

2.1. 「苦情対応」から「価値創造」への進化

企業の消費者対応は、以下のように段階的に進化してきました。

  • 1980年代(ACAP創立): この時代は、主にお客様からの苦情にいかに適切に対応するかという「応対品質向上」や「難苦情対応」が中心でした。集まった消費者の声(VOC: Voice of Customer)を社内で活用する動きもありましたが、まだ限定的でした。
  • 2016年: 企業が自ら「消費者志向自主宣言」を行い、消費者全体の利益を重視する経営方針を社会に公表する取り組みが支援されるようになりました。これにより、企業はより積極的かつ組織的に消費者視点を取り入れるようになります。
  • 2023年以降: 「CX(顧客体験価値)イノベーション」という新しい概念が定義されました。これは、単に商品やサービスを提供するだけでなく、顧客が企業と接点を持つすべての過程を通じて得られる体験価値を重視する考え方です。その目的は、顧客の事前期待を上まわる心理的、感情的価値を創造することにあります。

2.2. コミュニケーション手段の変化と新たな課題

2010年以降、テクノロジーの進化は消費者とのコミュニケーション方法を劇的に変化させました。

  • 受付手段が従来の電話中心から、メールやチャットへと多様化しました。
  • 企業のウェブサイトにFAQ(よくある質問)が充実し、消費者がSNSで検索することで、問題を自己解決する傾向が強まりました。
  • 結果として、お客様相談室などへの直接の相談件数は減少傾向にあります。

2024年にACAP(公益社団法人消費者関連専門家会議)が実施した調査では、受付件数が減少した理由として以下の点が挙げられています。

減少理由割合(%)
苦情・問い合わせの減少63.4%
FAQによる解決44.6%
電話離れ34.3%
自己解決ツールの拡充27.4%
売上・利用者の減少17.1%

このデータは、前述した「苦情対応」から「価値創造」へのシフトを裏付けています。消費者が基本的な問題を自己解決できるようになったことで、企業に直接寄せられる声は、より複雑で、感情的な要素を含む重要な「真実の瞬間(Moment of Truth)」となりつつあります。

この変化は、企業にとって新たな課題も生み出しています。一つは、受け身の対応だけでは消費者のリアルな声(VOC)の収集が困難になっているという点です。そのため、企業側から自発的にアンケート調査やヒアリングを実施し、積極的に消費者の声に耳を傾ける必要性が高まっています。

さらに2020年前後からは、消費者対応にAIをどう活用するかという新たな問いが浮上しています。AIによる効率化が進む一方で、「AIは人間のオペレーターのように共感し、寄り添う姿勢を示すことができるのか」という本質的な課題が問われています。AIを人間の代替ではなく、人間を補完するツールとして最適に活用する方法を模索することが、現代の企業に求められています。

社会や技術の変化に対応し、企業と消費者の関係は大きく変わりました。こうした変化の中で生まれた「消費者志向経営」とは、具体的にどのような経営を指すのでしょうか。次の章でその本質に迫ります。

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3. 「消費者志向経営」の本当の意味とは?

「消費者志向経営」と聞くと、単に「お客様を大切にする経営」と考えるかもしれません。しかし、その本質はもっと深く、企業の役割そのものを捉え直す壮大なビジョンを含んでいます。

3.1. 守りから攻めへ:リスク低減から機会の創出へ

従来の消費者志向経営は、「法令遵守」や「お客様の声を聞いて改善する」といった、問題発生を防ぐ「リスクの低減(守り)」の側面が強いものでした。

しかし、これからの消費者志向経営は、その守りの姿勢に加え、**社会全体の課題解決に貢献することで新たなビジネスチャンスを生み出す「機会の創出(攻め)」**を目指す経営へと進化しています。この進化は、2つの重要な軸に沿った戦略的シフトとして捉えることができます。

  • 横軸: 企業の活動が「リスクの低減」から「機会の創出」へと向かう。
  • 縦軸: 消費者との関係が、企業が一方的に消費者を「保護」する関係から、共に価値を創る「協働」の関係へと向かう。

この進化の先にあるゴールは、**「『消費者』と『共創・協働』して『社会価値』を向上させ、持続可能な社会へ貢献する経営」**です。例えば、SDGs(持続可能な開発目標)や地方創生といった社会課題に、消費者と共に取り組むことがこれからの企業には求められます。

3.2. 広がる視点:お客様から社会全体へ

消費者志向経営の進化は、企業が責任を負うべき対象範囲の拡大としても理解できます。

お得意先 → お客様 → 消費者 → 社会

この進化は、企業の視点が次のように拡大してきたプロセスを示しています。まず、利益の源泉である**「お得意先」(Key Clients)に焦点を当て、次に商品を購入してくれるすべての「お客様」(Customers)へと視野を広げました。さらに、潜在的な顧客層を含む市場全体の「消費者」(Consumers)を意識するようになり、最終的には、自社が事業活動を行うコミュニティ全体、すなわち「社会」(Society)**への貢献を果たすべきであるという認識に至ったのです

この進化の先にある「消費者志向経営の本質」は、以下の3つの要素に集約されます。

  • 社会の課題解決: 自社の利益だけでなく、社会全体の課題を解決することを目指す。
  • 双方向コミュニケーション: 企業が一方的に情報発信するのではなく、消費者と対話し、共に考える。
  • ネガティブ情報の開示: 企業にとって不都合な情報も誠実に開示し、透明性を確保することで信頼を築く。

消費者志向経営が、単なる顧客満足を超えて社会貢献を目指すことがわかりました。では、このビジョンを実現するために、企業は具体的に何をすべきなのでしょうか。その鍵となる「消費者の声」の活用法を次に解説します。

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4. 消費者の声を経営に活かす具体的な仕組み(VOCマネジメント)

消費者志向経営を実現するためには、消費者の声(VOC)を場当たり的に聞くだけでなく、収集・分析し、経営に活かすための体系的な仕組み、すなわち「VOCマネジメント」が不可欠です。

4.1. VOC活用の3ステップ

優れたVOCマネジメントは、単なるフィードバック収集活動ではありません。組織全体を変革する力を持つ戦略的プロセスです。もし体系的なプロセスがなければ、貴重な消費者の声も一部門に滞留し、意味のある組織変革を駆動することなく消えてしまいます。基本となるのは、以下の3ステップです。

  1. 【収集】: 消費者の声を広く集める 電話やメールだけでなく、アンケート、SNS、店舗での会話など、あらゆる顧客接点から声を収集します。
  2. 【分析】: 消費者の声を深く知る活動 集められた声を分類・構造化し、表面的な言葉の裏にある本質的なニーズや課題(インサイト)を洞察します。
  3. 【発信・活用】: 消費者視点の組織風土づくり 分析結果を経営層や関連部門に共有し、具体的なアクションに繋げます。これにより、組織全体に消費者視点が根付きます。

これらの活動から得られた知見は、「商品開発」「品質保証」「CX活動」など、企業のあらゆる部門の意思決定に活かされます。

4.2. 各ステップで求められるスキル

VOCマネジメントを効果的に進めるためには、各ステップで求められるスキルセットが異なります。ここでは、経営学者のロバート・カッツ氏が提唱した「カッツモデル」を参考に、必要なスキルを整理します。重要なのは、各フェーズで中心となるスキルはありつつも、実際には複数のスキルが複合的に求められるという点です。

ステップ最も重要なスキル合わせて必要となるスキル
① 収集ヒューマンスキル
(信頼関係構築、傾聴力、共感力)
テクニカルスキル
(商品知識、VOCツールの理解)
② 分析コンセプチュアルスキル
(構造化能力、本質を見抜く力)
テクニカルスキル
(分析ツールの操作、専門知識)
③ 発信ヒューマンスキル
(プレゼン能力、合意形成力)
コンセプチュアルスキル
(分析結果をアクションプランに転換する構想力)

特に分析フェーズでは、表面的な言葉に惑わされず、真のニーズや問題の本質を見抜くコンセプチュアルスキルが極めて重要です。

分析の具体例

  • お客様から「商品が高い」という声があった場合、その裏には「価格に見合う価値を感じられていない」という心理が隠れているかもしれません。
  • 操作が難しい」というフィードバックは、単純な不満ではなく、「より良いユーザビリティへの強い期待」の表れであったり、あるいは「お客様自身が何に困っているかを言語化できていない」状態を示唆していたりします。

4.3. 経営層や関連部門を巻き込む方法

収集・分析した消費者の声が、担当部門だけで留まってしまっては意味がありません。組織全体を動かすためには、経営層や関連部門を効果的に巻き込む工夫が必要です。

経営層が関心を持つためには

  • 報告の機会を制度化する: 取締役会で、顧客関連部門からの報告や提言の時間を定期的に確保する。
  • 経営の言葉に織り込む: 中期経営計画や「社長メッセージ」に「お客様視点」「消費者志向」といったキーワードを盛り込み、経営の重要課題として位置づける。
  • 経営課題として扱う: カスタマーハラスメントのような問題を個別のクレームとしてではなく、全社で取り組むべき経営課題として捉える。
  • 経営に有益な情報を提供する: 「過去10年間のお客様の声の変化」など、経営判断に直接役立つ戦略的な分析結果を提示する。
  • 公に宣言する: 「消費者志向自主宣言」を行い、社会に対してコミットメントを示す。

関連部門が関心を持つためには

  • トップが話題にする: 社長が日報などを読み、「お客様の声」を社内の会議などで話題にすることで、従業員の意識を高める。
  • 「生の声」に触れる機会を作る: 関連部門の従業員に、お客様の声を録音したものを聴いてもらったり、コールセンターでの応対をライブでモニタリングしてもらったりする機会を設ける。

このように、消費者の声を組織全体で共有し、行動に移す仕組みづくりが不可欠です。

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5. まとめ:共創・協働による未来へ

本記事では、消費者志向経営の基本的な考え方から具体的な実践方法までを解説しました。

最も重要なのは、消費者志向経営が単なる顧客対応の改善活動ではなく、企業の持続的成長と社会貢献を両立させるための経営戦略であるという点です。今後の企業には、VOCマネジメントサイクルを通じて、消費者の声を受け止めるだけの受け身の対応から、**「消費者への提案」「消費者との共創・協働」**へと進化させていくことが求められます。

結局のところ、現代における持続的成長への道は、シンプルかつ強力な一つの運用サイクルによって定義されます。

「消費者の期待を知り、仮説を立て、組織全体で連携して応えていく

このサイクルを粘り強く回し続けることができる企業こそが、変化の激しい時代において顧客からも社会からも選ばれ、生き残り、そして繁栄していくのです。